あつくなれ

オキテカツとかシネマシネマとかバンデイジオフィシャルブックとか色々とちゃんと書きたいなとは思ってるんですが、今ひとつ気力体力がついてこんのだよ。ただアンテナ先を見て思ったんだけど、みんな距離が近いよね。カッツーンとかアカニシとかと。なんかさ好きにも色々あるよね。私はさ、じんじんて自分の中で今一番イイオトコだと思うし、見ててもうタマラン感じではあるんだけど、彼の言葉や行動に一喜一憂するほどの情熱はないかなあ。そこらへん観察対象として割り切って見てるんだよね。いや何がいいたいかというと、いいなーと思うんだよ。みんなの熱さが。若さか。若さがそうさせるのか。羨ましいぜ、コンチクショウ。

あけおめじゃー

今年もじゃにーずかうんとだうん、美味しく頂きました。具材としてはじんじんの潤君ほっぺムギュや長瀬アカニシ男前ふたりの肩組みアップ、案の定振りを憶えていない(多分端から憶える気がない)マッチバックじんじん等がございましたが、あえてここで触れておきたい翼。やっと行ったよ帝劇。てか最初から帝劇でよかったじゃないか。ここんとこタッキーが何故か中継なせいでタッキー&翼のアンドは中継カメラの意なんじゃないかと思ってたくらいだよ。カメラを介してしか繋がらないユニットってなんじゃそれ。とにかくよかった。翼の待遇が少し改善されたような気がして嬉しい。
そんで翼さ、ちょっと見ない間に実に美味そうに育ったじゃないか。私のイイオトコセンサーが振り切れたぞ。出来ることなら日本全国の老若男女に伝えたい。翼が育ったぞ、と。今私は例えるなら、放流した稚魚が立派な鮭になって戻ってきた姿を見た保存会の人のような心持ちであるよ。自分には非常な歳月に、ありがとうと言わざるをえない。
で昨日も書いた光子ですが、もうまわりの扱いが数年前の森繁なんだよね。森光子といえば京塚昌子山岡久乃と並んで日本の三大おかあさんじゃないか(ホントに年がばれるな)。おかあさんにはいつまでも元気でいて欲しいんだよ。NYC boysを無理やり正式デビューに持って行ったおじいちゃんの老いと相まってなんだかとっても切ない。タッキーとの舞台で少しでもおかあさんが元気を取り戻して欲しいと切に願っております。タッキーの精気をありったけ吸っちゃって!タッキーは大丈夫。多分。

愛をくれ

DVDのインタビューについて批判(主に赤西に対して)しているブログを結構見かけた。当方も仲間だが、批判するにおいて一番忘れてはならないのは愛だな、と。色々な批判を読んで思った次第です。以下、自戒の念を込めて書いてみる。
まず最初に「愛って、なにかね」(田中邦衛にかぼちゃを持ってこられた菅原文太風に)ってことになるわな。
アイドルの批判をする場合、そのアイドルに対する愛は勿論あろう。文章を書くということは結構エネルギーと時間を使う事だし批判となれば相当に消耗するはずなのだ。愛無くしては書けない。むしろ愛あればこそ裏切られた(と感じた)時のマイナスの感情も大きくなるんだろうし、そりゃ書かずにはおられんだろうな、と思う。ブログに書いた人は、「王様の耳はロバの耳」と壷に向かって叫ばずにはいられなかった少年のような悲痛な心持なのだろうことは想像に難くない。ただ問題はその壷(ブログ)は衆人に公開されているということだ。その壷(ブログ)を覗き見てしまった人に対する愛を忘れてはならない。これは結構忘れがちになる。でもこれを忘れると反対に愛の無い攻撃にさらされたりする訳だ。
じゃあ読み人に対して愛のある批判というのはどんなもんだろう。考えてみたんだが、それは多分客観性じゃないかと思う。読む人を不快にさせる批判記事というのは大抵において主観のみで書かれている。批判する気持ちというのはそれ自体が主観なんだから、客観的に書けというのも無理な話だとは思うが。それでも書く場合においては批判する対象と批判する自分の両方を客観的に見る視点が必要だと思う。これが出来ているブログは愛される。まあ愛されたいとも思わないが、少なくとも不快感は与えないように気を付けたいものだなあと思うのだ。